■本町一丁目ご紹介 ■シンボルマークのご紹介 ■琴高台のご紹介 ■昔の本町一丁目

高山の町は、天正14年に飛騨に入った、金森氏によって作られました。金森氏による宮川周辺の大規模な町づくり整備によって、川東には侍屋敷が建てられ、そこから移された町人たちは城下の固めを兼ねて、南北に一番町(一之町)、二番町(二之町)、三番町(三之町)、東西に安側通り(安川通り)、肴町(さんまち通り)などを作り、高山の町の中心となりました。そして、川西の町は、川向いの町なので「向町(むかいまち)」と呼ばれ、職人達の町として発展し、やがて上向町、中向町、下向町へと拡張されていきました。そして、将来高山の中央となることを願い、向町はやがて「本町」へと改名されました。

明治15年になると、家数は31、職業種も石油、味噌、醤油、豆腐、大工、質屋など、主食を除けば一応生活に必要なものは全てあり、商家の街並みとしての形態が整ってきます。


大正時代になると、家数は32となり、職種も仏壇、金物、たばこ、理髪店、歯科医など多彩になってきます。当時はまだ商家が少なく、本町一丁目は文字通り、川西の「商店街」としては一級でした。
※見たい所でマップをクリックすると、大きな画像がご覧いただけます。


飛騨高山 本町一丁目商店街